4.善玉不足

映画の中では、ブルース・ウィリスみたいな主人公が、トラボルタみたいな人が率いる悪の組織に潜入する。もともとの子分と主人公は仲良くできない。ある日、子分が失敗をする。トラボルタが失敗した子分を前にして、「お前が撃て」と言ってブルース・ウィリスに銃を渡す。ブルース・ウィリスは、子分を撃ったりしない。思わぬ力で反撃し、トラボルタを倒すのであるが、現実にはブルース・ウィリスはいない。しかし、トラボルタはいる。圧倒的な力を持つ者から「従え」と言われたらどうするのか?従わざるをえないではないか。そのような状況に陥ったとき、自分はどのように振舞うのか?

そんなこんなで、勇気と誠意をもって毛沢東に苦言した彭徳懐のことを尊敬するとともに、彼を痛めつけた人、彼を見捨てた人の気持ちを考える。「しかたなかった」とか言うのかな。

 

いつか『トランプ大統領の私生活』という本が書かれ、彼は世界の救世主だったとか大災厄だったとか議論されるのだろうが、その時に欠いてほしくないのは、彼を誰が支持したか、誰が止めたか、彼の周りの誰が何をしたか、ということである。

 

演説が上手な政治家が、人々を誤った方向に導いた例はままある。だからといって、その国の首相が演説が下手だから大丈夫だと油断してはいけない。その国は、そんな人しか政治家にならないのに、何度か戦争をしてきたからだ。たくさんの人権が踏みにじられたことだろう。領土がどうとか、エネルギーがどうとか、産業がどうとか、金のことばかり考えていると、ごまかされて、すぐあんな世の中がやってくる。「それでも私はブルース・ウィリスだ」と思える人は、何人いるだろうか。