koorogi_ahmdoのブログ

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Christ Church の女

嫌米な今日この頃。それなのに、なぜか私はNew Zealandに観光に来てしまった。

 

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日本が暑くて息苦しく思えたのか。人口密度の少ない場所に行きたかったのか。TVでラグビーを見たからか。カンザス州のことを考え、農場に行きたくなったからか。

わからない。

 

New Zealandには5年位前に行ったことがあるのだが、その時は心神喪失状態だったようで、よいことはほとんど覚えていない。写真もほとんど残していない。撮る気にもならなかったのだろう。

 

オークランドからウェリントンへ行き、そこから船に乗り南島に行った。フィヨルドのような対岸が見えたことを覚えている。そこから電車に乗ったはずだ。新幹線のように味気ない電車の中で、コーヒーを買った気がする。そしてクライストチャーチに行った。

 

ひどい旅だった。

どこも静かなのだ。

数年前に地震クライストチャーチを襲ったことをすっかり忘れていたのだ。

 

クライストチャーチの宿に近い駅に降りた。わずかな乗降客と迎えの車、それらが去ってしまうと、ロータリーにポツンと私とバンだけが取り残された。

10月でまだ薄ら寒く、暗い。バスはもちろんタクシーなど無い!宿へ電話すべきか、英語通じるか…歩くべきか…ピンチである。

幸いバンに荷物を積んでいるのが若い女性だったので、目的の宿に行くかと聞くと、宿にこれから一人連れて行くというようなこと?を電話してくれ、車に乗せてくれた。

 

車に乗ってみると、とても歩ける距離ではない。しかも平屋の家々以外は何もない。パチンコ屋や屋台はもちろんのこと、コンビニすらない。真っ暗…彼女がいてよかった。こういうのを地獄に仏というのだろうか。

 

宿の主は中国系マレー育ちNZ人で、気さくで親切な人だった。割り当てられた部屋も小綺麗で、整備中だけれども庭があり、のんびりできると思いうれしくなった。

 

ところが夜遅く、新しい客が来た。私と同じ歳くらいの日本人の女だった。共用台所でお茶を飲んでいたところに彼女がやってきて、私は彼女と話す羽目になった。

 

彼女はずいぶん高飛車に、この宿のセキュリティが心配だという。宿の主人はちゃんと玄関の鍵のロックの仕方を教えたはずだ。ねえ、どう思う?と聞かれるのでまあそうかねえなんて濁していたら、近所に住んでいる宿主に電話して彼を呼び出した。彼女はロックにケチをつけて何度もチェックさせた。真夜中にである。

 

翌日、彼女はまだ宿にいた。私はぼーっとしていたいのに話しかけてくる。

ー 私はベルギーから来ました。夫の仕事の都合で家族とベルギーに住んでいます。

ー ふーん。

ー 日本人って差別されていると思うでしょ?違うのよ。目があって、ニコッとすれば向こうも微笑んでくれるよ。

ー ほぉ。

ー 今回はNZに口座を開きに来たの。

ー はぁ。(このあたりから様子がおかしいと思いだした。)

ー 福島の地震が起きる直前、虫の知らせか、突然子供を連れてハワイに行ったの。私は正解だったわ。

ー???

ー もう日本には住めないと思って、NZに土地を買うことを考えているの。

 

口座開くのに地震で壊れたクライストチャーチに来るとは?非居住者NZ $預金とかいうのかね?

 

宿の主人が「こういうのがあるよ」と言って日帰りツアーを紹介してくれた。ロード・オブ・ザ・リングのロケ地だという。ほぼ興味はないのだが、その女と日がな変な話をするのも嫌なので、行くことにした。そしたら彼女も行くと言った。

 

小さいバスでの乗合ツアーだった。ツアー自体は牛や羊のいる山に連れて行かれ、ロケ現場まで歩くというものだった。上の方が本命らしいが、根性のない私は麓でブラブラし牛の糞を踏んでいるほうを選んだ。ツアーには英語を話す中国系の夫婦もいた。彼女は彼らに自己紹介し…確かにヨーロッパの人の中にはいきなり自己紹介をする人がいるが…ツアー中ずっと旦那さんに話しかけていた。私がバスに戻るとすでに奥さんが座っていたので、私は「あの人変よね」と言ってやった。しかし奥さんは苦笑いしただけだった。

 

その彼女とはメアドの交換をすることもなくお別れした。後日宿主が日本の女は無茶だ、夜中に呼び出された、ということをSNSに書いていて、悲しくなった。まあ、一晩に二人も変な日本人の女が来たのだから仕方あるまい。

 

その後、クライストチャーチからオークランドまでどのようにして戻ったのかまったく思い出せない。ちゃんと日本に帰ってこれたのだから、NZは安全な国である。

 

クライストチャーチの街に行ったとき、建物は無残に破壊されており、主要なところはフェンスの向こうとなっていた。つまり、観光に行くべきではないところに行ってしまったのだ。

件の彼女でもいいから話したい、そんな気分になった。

 

例によって宿までバスもないのでとぼとぼ歩いていると、街外れに瓦礫の山があった。NZってこんなところ?と思ったが、のちに考えると地震の被害のあと片付け中だったのだ。人の不幸って忘れるのよね。

 

今は復興していることを願うばかりだ。

この度は行かないけれど。